HOME  ≫  南京大虐殺を捏造した朝日新聞と協力した日本社会党

日本は中国を安定した国にしたかった


南京占領2日目の写真
1937年12月15日、南京城内難民区、
佐藤振壽・東京日々新聞(現在の毎日新聞)カメラマン撮影
参考:昭和12(1937)年12月13日が南京陥落


(朝日新聞)南京占領5日目の写真(第1回の写真特集)
タイトルは「平和甦る南京《皇軍を迎えて歓喜沸く》」
「17日河村特派員撮影」松井軍司令官を先頭に入城式があった日

占領5日目に早くも露天商が出て、兵隊が銃も持たないで買い物をしている。
(1)兵隊さんの買い物(右)
(2)皇軍入城に安堵して城外の畑を耕す農民達。(中上)
(3)皇軍に保護される避難民の群。(中下)
(4)和やかな床屋さん風景。(左)


(朝日新聞)昭和12(1937)12月25日(第3回の写真特集)
撮影は23日頃(南京占領10日目頃の写真)  タイトルは「南京は微笑む《城内点描》」

(1)玩具の戦車で子供達と遊ぶ兵隊さん(南京中山路にて)(右上)
(2)戦火収まれば壊れた馬車も子供達の楽しい遊び場だ(南京住宅街にて)(左上)
(3)皇軍衛生班の活躍に結ばれて行く日支親善(難民避難区にて)(右下)
(4)は、平和の光をたたえて支那人教会の庭からもれる賛美歌(南京寧海路にて)(左下)
(林特派員撮影)


南京大虐殺 を「事実」だと誤解してはいませんか?

 みなさまの中には、
いわゆる、中国共産党が盛んに喧伝して来た「南京大虐殺」について「実際に有った」。
または、三十万人の大虐殺は信じられないが、「それに類する事件はあった」と。

あるいは、南京大虐殺は元々存在しなかった、と
明確に認識しておられる方もおられることかと思います。
それぞれに、認識が違う。そうした事例は、何も"南京事件"に限ったことではなく、
いわゆる、他の対日毀損に対しても、同様に分かれているケースもあるやに伺っております。

 しかし、個々の認識はあくまで「認識」であり、
それが「事実」とは異なる「認識」であれば、
直ちに、それまでの「認識」の修正をした方が良い。
これが物事の認識に不可欠な筋道です。

「認識」はいくつもあり得るとしても、「事実」は一つしか存在していないからです。
また、事柄が「事実」か、否か。判別が困難な場合は、事の次第や時系列的に洗い直し、
客観的に、その経緯から「正」「誤」をもとに判別する方法が有効です。

以降の事例について、その視点から指摘してまいります。
「南京大虐殺」については、そもそも、
南京での局地戦は存在しましたが、「南京大虐殺」は存在しなかった。

これが唯一の「事実」です。
単に、「個」の認識レベルに終わるものではなく、紛れもない「事実」です。

 事の経緯はこうです。
昭和四十七年(一九七二年)の「日中国交回復」に先立つ昭和四十五年(一九七〇 年)に、
当時の朝日新聞社長の広岡知男氏の指示で、
中国共産党の「文化大革命」礼賛記事を紙面に掲載した。

中国共産党の機関紙「人民網(人民日報)」との提携開始もこの時期と思われます。
また、同時期に、公明党訪中団と中国共産党による
「共同声明」発行とも符合している点が興味深い点の一つと謂えます。

朝日新聞は、この文革礼賛記事を皮切りとして、翌年 昭和四十六年(一九七一 年)から
「南京大虐殺」という虚構宣伝のキャンペーンを開始したのです。

 同紙記者の本多勝一氏による「中国への旅」を連載し、その虚構は広がりました。

この件の朝日新聞は、メディアとして在るべき検証を悉(ことごと)く省いて報道し、
当時は、新聞は正確たり得る情報源と信頼していた日本国民に対し、
あらぬ「罪悪感」の一大流布に成功したと謂えます。

無論、ネットがある時代ではなく、当時の日本国民にとって新聞やテレビは、
今にもまして影響力を持つ情報源であったことは謂うまでもありません。

いわば、「まさか新聞が嘘を書かないだろう」、
その善意の認識が今よりなおも支配的だった時期でのことです。
その時代に、新聞を疑えるほどの視線を成熟させることは不可能であり、
その社会的な「盲点」を衝くかのようにして、これらの虚構がまたたく間に広まったのです。

 朝日新聞の大報道の「真」「偽」や如何に。
そこで、経緯から「正」「誤」を判別すれば、昭和五十三年(一九七八年)に、
日本の中学校教科書に初めて「南京大虐殺」が記述されるに至っていますが、
しかし、同年までの中華人民共和国の教科書には「南京大虐殺」の記載は無かった。

もっと指摘すれば、
事件があったとされる一九三七年から実に四十二年間という長期間にわたって
「中共の教科書」にさえ「南京大虐殺」は記載されていなかったのであり、
はるかに歳月を経たこの年になって、
朝日新聞の捏造報道をもとに「日本の教科書」が先に載せたことになります。

 「南京大虐殺」が仮初(かりそ)めにも事実であるとしたら、
中華人民共和国本来の特性からすれば、もっと早い時期から、
中国共産党政府が騒ぎ立てていても不自然ではなかったはずです。
この経緯をもとに淡々と検証すれば、その背景には、これなら「使える」と言わんばかりの、
上述の朝日新聞などを通じた対日プロパガンダの「先行」があり、

それ自体が、
むしろ、件の虚構が、「戦後」における隷中メディアが支那の尖兵となった
捏造報道の証左と指摘できます。

 現在でも、「南京大虐殺」を肯定する方々にその理由を尋ねれば、
その中には、「テレビで言ってたから」、「先生が言っていたから」、
「教科書に書いてあるから」との理由が多いと思いますが。

 それらの人々個々の「認識」レベルを拝察すれば、
あるいは、「南京大虐殺」は"事実"なのかも知れませんが、事の「真」「偽」の
根拠は「それだけなのか?」とお尋ねしたい。

どうして、「テレビで言うようになった」のか。なぜ、「先生が言うようになった」のか。
また、なぜ、「教科書に載るようになったのか」と。
その淵源に遡及(そきゅう)して、事の次第を調べ上げ、
むしろ、客観的な検証を重々加える必要があるからです。

 以上から、時系列的にも、南京事件は「一九七一 年」の
「朝日新聞」の紙面を端緒として造り出された虚構であることは明白です。

戦後の約三年間に、
数千万人にもおよぶ自国民の命を奪った中国共産党と国民党軍の内戦で命を落とした犠牲者の
遺骨まで掘り出しては、「日本軍に虐殺された犠牲者」であるかのように宣伝する、
いわゆる「記念館」方式のプロパガンダがこれに該当します。
動画: 朝日が作った歴史

南京大虐殺紀念館を作ったのは日本社会党(現在の民主党)
日本社会党委員長を務めた田辺誠は1980年代に南京市を訪れた際、
当館を建設するよう求めた。中国共産党が資金不足を理由として建設に消極的だったため、
田辺は総評から3000万円の建設資金を南京市に寄付し、その資金で同紀念館が建設された。

3000万円の資金のうち建設費は870万円で、
余った資金は共産党関係者で分けたという。また記念館の設計は日本人が手がけた。


▲ 南京虐殺記念館に献花する「菅直人」氏
南京大虐殺記念館に献花をした議員
・海部俊樹 ・村山富市 ・野中広務 ・古賀誠 ・田邉誠 ・菅直人
ウィキペディア: 南京大虐殺紀念館

朝日新聞時代の「本多勝一」氏の捏造写真



著書『中国の日本軍』において、「中国の婦女子を狩り集めて連れて行く日本兵。
強姦や輪姦は幼女から老女まで及んだ」とキャプションをつけて写真を掲載。

しかしこの写真は『アサヒグラフ』昭和12年(1937年)11月10日号に掲載された
「我が兵士(日本軍)に援けられて野良仕事より
部落へかえる日の丸部落の女子供の群れ」という写真であることが秦郁彦により指摘された。
この写真は南京大虐殺記念館でも長い間、
日本の残虐行為の写真として展示されていたが、信憑性に乏しいことから展示を取りやめている



また、『本多勝一全集14』の『中国の旅(南京編)』では「ヤギや鶏などの家畜は、
すべて戦利品として日本軍に略奪された(写真;南京市提供)」とキャプションをつけて写真を掲載。

しかしこの写真は、『朝日版支那事変画報』にて掲載された
「民家で買い込んだ鶏を首にぶら下げて前進する兵士」という
日本側が撮った写真であったことが示されている。


■『月刊中国』鳴霞・主幹編集長の南京問題の告白

以下、『月刊中国』を一部転載させて戴きます。

「中共では1979年まで南京大虐殺30万人など無かった」
1979年版の全日制中学校歴史教科書に突然、南京大虐殺が登場しました。

1985年に、日本の国会議員などが数千万円の資金援助をして、
南京大虐殺記念館を建てて「日本軍が30万人虐殺」したという虚構を宣伝する拠点としました。

中共政権は、1980年代になって初めて、
「国民党軍と日本軍が戦争していた」という抗日戦争の歴史を認めました。
国民党は台北の「国軍記念館」の中に、南京大虐殺30万人という宣伝展示をしました。

この記念館は昨年、展示入れ替えと改良工事をしていたが、
今でも「日本軍による南京大虐殺30万人」という虚構が宣伝展示されているかどうか。

前出の劉燕軍の「抗日戦争研究第4期」の中の「南京大虐殺の歴史記録」には、
「国民党は我々労働者階級の闘争意欲を弱体化させ、
迫害され死去した労働者兄弟たちは、未だに冤罪の汚名を着せられている。
中国人の階級闘争の真の敵は国民党政府だった」と指摘しているのです。

50歳前後の中国人なら知っているだろうが、
抗日戦争の教育映画は「地雷戦」「鉄道遊撃隊」などでした。
しかし当時の抗日映画の中には、「南京大虐殺」などと言うものは無かったのです。

1960年代に毛沢東が2千万〜3千万人の国民を餓死させた事実は教科書には掲載せず、
日中国交正常化までは日本人のことを「日本鬼子」と罵倒していました。

1972年9月に日中国交が結ばれ、
中共政府は南京大虐殺記念館を建てて「日本軍が30万人を虐殺した」と宣伝したが、
これは毛沢東の文化大革命で7千万〜8千万人が中共に虐殺されたことをすり替えるためのものだった。

中共としては、毛沢東の文化大革命の10年間に、経済発展が停止して国民生活は破綻していた。

最も生活が困っている時に援助の手を差し伸べたのが日本の政治家だったが、
日本社会党(現在の民主党)は数千万円を寄付し、そして南京大虐殺記念館は建てられた。
 
今も続く反日宣伝の虚構は、
日本社会党の議員が援助したものであり、日本人の敵は日本の議員だったという訳である。

1980年代には、中国では「日本人と中国人は2千年前から友好交流しており、
歴史や文化は酷似している」と教えられた。 
日本からの経済援助、人材教育、技術支援なども活発化しており、
1982年には筆者・鳴霞も日本に永住する為に来日しました。

来日する前に勤務していた軍事会社の党支部書記は、「鳴霞よ、日本には共産党青年団の組織は無い。
だからお前は共産党青年団宣伝幹部の職を辞さねばならない」と言われました。 

また、「党はお前を一生懸命に勉強させ、
軍事会社から資金を出して市内の日本科学技術大学校に入学させ日本語を勉強させた。
日本に行ったら、日中友好事業を推進せよ」と言われました。

私が中国にいる時に受けた全ての教育の中で、「南京大虐殺」 「慰安婦」 「毒ガス」などは無かった。

1979年までの教科書、新聞、雑誌やマスコミ報道にも、それらは無かった。

日本からの資金援助で「反日運動」が推進されるようになった1984年には、
南京にいる老人を集めて「南京大虐殺被害者」を作り始めた。でっち上げた被害者は1756人に上った。

それを根拠にして「侵略日軍南京大屠殺史料」 「侵華日軍南京大屠殺当案」 
「日軍侵華暴行南京大屠殺」などの本が一気に出版された。
毛沢東が政権にあった時、多くの本が出版されたが、南京大虐殺を書いたものは無い。と言われた。
動画: 月刊「中国」の鳴霞氏が語る中国の正体!

『月刊中国』(毎月1日発行)発行人編集;鳴霞
FAX;0795-46-1880
編集長が満州人の鳴霞(めいか)氏。

pdfファイル・ダウンロード⇒アメリカ人の「南京虐殺の目撃証人」は一人もいなかった 出典: 日本近代史
Link: 南京大虐殺はウソだ / 「南京大虐殺」は捏造だった / 中国の「正しい歴史認識」の正体 / 日中戦争の真実


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