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日本の戦後賠償に付いて

韓国の方からよく「日本は戦後賠償をまだしていない」と
誤解があるようなので資料を提示します。

日本がとってきた戦後補償の中身
(単位は億円) 賠 償 準賠償 各種請求権
ビルマ(ミャンマー) 720.000 612.000  
スイス     12.0000
平和条約16条     45.0000
タ イ   96.000 54.0000
デンマーク     7.2300
オランダ     36.0000
フィリピン 1980.000    
スペイン     19.8000
フランス     16.7280
スウェーデン     5.0500
インドネシア 803.088 636.876  
ラオス   10.000  
カンボジア   15.000  
南ベトナム 140.400    
イタリア     8.3305
英 国     5.0000
カナダ     0.0630
インド     0.0900
韓 国   1080.000  
ギリシャ     0.5823
オーストリア     0.0601
マレーシア   29.400  
シンガポール   29.400  
ミクロネシア   18.000  
北ベトナム   85.000  
ベトナム   50.000  
アルゼンチン     0.8316
モンゴル   50.000  
補償総額 6565億9295万円    
在外資産の喪失 3794億9900万円    
中間賠償 1億6516万円

合 計 1兆362億5711万円
(国立国会図書館外交防衛課作成の資料)
(借款は除外)

敗戦国となった日本は、六年間の米国を始めとする連合国の占領期間を経た後、
一九五一年(昭和二十六年)に、サンフランシスコ平和条約を結びました。

連合国五十五か国中、四十八か国と講和を結び、
多くの条約当事国は賠償請求権を放棄しました。

この条約とそれとは別に個別の国々と結んだ協定(二国間協定)で、
戦争で日本が与えた損害に対して賠償を行なう約束をし、戦後補償問題は決着しました。

日本が同条約に基づいて、戦後外国に支払った金と物は膨大なものであり、
当時の金額で一兆三百億円以上にのぼります。

中身は、
@賠償および無償経済協力(準賠償)、
A賠償とは法的性格を異にするが戦後処理的性格を有する贈与・借款、
B軍需工場など日本国内の資本設備を、かつて日本が支配した国に移転、譲渡する「中間賠償」、
C戦前、日本政府や企業、個人が海外に持っていた在外資産の諸外国への引き渡し、
の四つから成ります。

個別の国々と二国間協定

サンフランシスコ平和条約の十四条は「日本軍隊によって占領され、
日本国によって損害を与えられた連合国」が、
日本と二国間協定を結ぶことによって賠償が受けられることを規定しました。

該当する連合国とはフィリピン、ベトナム、ラオス、カンボジア、インドネシア、豪州、
オランダ、英国(香港、シンガポール)、米国(グアム、キスカ、アッツ)の九か国を指します。

ただ、大戦中はこれらの国は米、英、仏、オランダの植民地あるいは属領であり、
国際法上は独立国家ではありませんでした。

この内、ラオス、カンボジア、豪州、オランダ、英国、米国は賠償請求権を放棄または行使しませんでしたが、
ラオス、カンボジアとは経済・技術協力協定を結び賠償に代わる準賠償を行ってきました。

またこの九か国以外でも、スイスやアルゼンチンなどには
日本から受けた損害に対する賠償請求権が認めらました。

フィリピンには千九百八十億円、ベトナム(南ベトナム)には百四十億四千万円を支払いました。
北ベトナムに対しては七五年に八十五億円、
また七六年には統一後のベトナムを対象に五十億円の無償経済協力をしました。


役務賠償(人的支援)が途上国協力の原形

日本はサンフランシスコ条約に基づき、
金銭ではなく「役務および生産物」を中心として賠償を行うことが認められました。
これは発電所建設やダム建設、港湾建設、上水道建設、農業センター建設、船舶供与、
トラック供与などを、技術を持った日本人が中心になって建設などを支援したり、
生塵物を無償で経済協力することなどです。

アジア諸国にとっては、経済発展していくために、これらの長期的資本投資の役割は大きく、
役務賠償を受け取る国の経済発展と社会福祉の増進に極めて役立ちました。
また、途上国に対する今日の経済協力の原形を成しました。

その一方、この方式は、日本政府が日本企業に円を渡し、
企業が発電所やダム、上水道の建設、トラックや船舶などを相手国に提供するやり方をとったので、
日本にとっても多くの需要が生まれ、大きな経済効果となりラッキーでした。

役務賠償は結果的に日本企業にとって絶好の海外進出のチャンスになり、
日本と相手国との経済関係や人的交流を深め、日本のアジア地域における経済的基盤を整えました。
日本にとっては、国民の負担という面だけでなく、海外投資の役目も果たしてきたわけです。

日本が支払った賠償・準賠償は分割で支払っていますが、
敗戦後の貧しい中、当時国民が一生懸命働いて
膨大な賠償に応じてきたことも忘れてはなりません。
(協力/吉原恒雄・拓殖大学教授)
出典:日本時事評論 第1390号 平成12年12月8日
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4759/130324-1.html

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昭和20(1945)年、敗戦国となった日本は7年間の占領期間を経た後の昭和26年に、
サンフランシスコ条約を結んで連合55国ヶ国中48ヶ国と講和をしました。
この条約とそれに続く個別の国との協定で、
戦争で日本が与えた損害に対して賠償を行なうことを約束し、ここから戦後処理が始まったのです。

例えばフィリピンには賠償約1980億円、借款約900億円、
インドネシアには賠償約803億円、借款約1440億円を支払っています。

この他、別表にあるように、賠償、補償の総額は約3565億5千万円、
借款約2687億8千万円で併せて6253億円にのぼります。
これ以外にも事実上の賠償として、当時日本が海外に保有していた財産はすべて没収されました。

それは日本政府が海外にもっていた預金のほか鉄道、工場、建築物、
はては国民個人の預金、住宅までを含み、当時の計算で約1兆1千億円に達しています。

現在の経済大国、日本ではなく、戦後のまだ貧しい時代に、
時には国家予算の3割近くの賠償金を約束し、きちんと実行してきていたのです。

ちなみに昭和30年のスチュワーデスの初任給は7000円でした。

さて最近、韓国から個々人に補償を要求する動きが
新聞やテレビで報じられていますが、これについても一言ふれておきましょう。

昭和40(1965)年、日本と韓国は日韓基本条約を結び、
日本は無償で3億ドル(約1080億円)、有償で2億ドル(約720億円)、民間借款で3億ドルを支払いました。

そこで、日本が韓国内に持っていた財産を放棄することも含めて
「両国民の間の請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決された」としたのです。
民間借款を除いた5億ドルだけでも、当時の韓国の国家予算の1.45倍にあたる膨大な金額です。

韓国はこのお金の一部を「軍人・軍属・労務者として召集・徴集された」者で
死亡したものの遺族への補償に使いましたが、大部分を道路やダム・工場の建設など
国づくりに投資し「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げました。

韓国は日本から得たお金を個人補償として人々に分配することよりも、
全国民が豊かになることを選び、それが成功したのです。

そして韓国のとったこの行動は韓国自身が決めたことですから、
出した日本がその使い道にあれこれ言うことはできません。

ですから現在、日本政府に個人補償を訴える韓国人はこうした事実を知らなければなりませんし、
私たち日本人も貧しかった中で、
一生懸命働いて賠償要求に応じてきたという事実を知っておかなければなりません。


こういうたった30年ほど前の努力を知らない若い世代ほど、
“日本は金持ちになったのだから出し渋らず払えばイイ”などと無責任な発言をするのです。
一方、30〜40年前に膨大な償いを課せられた60歳以上の人々は、これに反対するのは当然のことなのです。

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ドイツ人がかつて(ナチス時代)ドイツ領であった地域に所有していた資産の個人賠償の問題です。
ドイツは原則として個人賠償という原則を採用していることは、よく知られていることですが、
このことは裏返せば、ドイツ人にも個人賠償の原則が適用できるということです。

つまり、かつてドイツが侵略した地域ならびにドイツが失った
領土に存在していたドイツ人の資産に対しても個人賠償が適用されるということです。

実際、ドイツの賠償政策で日本であまり語られないことなのですが、
最も重要なのは、このドイツ人への個人賠償という問題なのです

ポーランド側がドイツ側から個人賠償を受け取るということは、
平和条約で賠償問題が解決されていない結果、逆もまたなりたたなければなりません。
つまりドイツ人が現在のポーランド領で喪失した資産は、その喪失した個人に対してなされなければなりません。

この喪った領土に第2次大戦敗戦まで居住していたドイツ人たちの一部は、
戦後、故郷を追われて居住することになった西ドイツで、
「被追放者同盟」Verband der Vertriebenenという圧力団体を組織し、
西ドイツに対してポーランドやロシアなどと東ドイツとの新国境を認めないように、
長い間圧力をかけてきました。

例えば、統一ドイツとポーランドとの間の国境確定条約(たしか90年)が締結されるまで、
ドイツの国営テレビARDやZDFの天気予報では、長い間、すでにポーランド領になっていた
シロンスク(シュレジェン)地方や東ポモージェ(後ポンメルン)地方などの天気予報をずっと行っていました。

これは、西ドイツがポーランドによる「ドイツ東部地方」の併合を認めないという
姿勢を明らかにするためにずっと行われてきたのであり、その背後にはこの「被追放者同盟」があったわけです。

こういった西ドイツでの領土回復運動を行いつつ、彼らはまた、ドイツ政府に対して賠償を求めてきました。
もちろん個人賠償です。その結果、西ドイツ政府は、彼らに対して、
喪失した領土に彼が所有していた資産に応じて賠償を支払うことになりました。
つまり、ポーランドが強制的に敵産(敵性資産)として接収したドイツ人の資産の賠償を、
ドイツ政府が肩代わりしたということです。

また、同様の問題はユダヤ人に対しても存在します。
つまり、戦前・戦中に現在ポーランド領となっている地域に資産を所有していたユダヤ人は、
個人賠償という原則に応じて、ポーランド政府に対して、その資産の返却を請求できるのです。

そして、この個人賠償という原則は、ドイツが戦後分断されたという特殊な事情によって
適用されているにもかかわらず、現在、おもにアメリカに居住しているユダヤ人たちは、
ポーランド政府に対して、かつてポーランドで所有していて(その後ナチスによって接収され)、
さらにそのあとポーランドから移住した際に(半)強制的に放棄されられた資産の返却を求めており、
その一部は現に返却され始めています。

ところで、日本の「民主的な」方々は、ドイツの個人賠償を礼賛しています。
しかし、ドイツは個人賠償を原則としているから、それを見習うべきだということを主張するのは、
実は日本政府のみならず、韓国政府にとっても実は不利なことなのです。

つまり、戦前「京城」(ソウル)や釜山に資産を所有していた日本人が、
「韓国政府が、個人賠償を原則とすると主張するのであれば、
俺たちにも韓国政府が個人賠償してくれ」と主張できることにもなってしまうのです。

そしてドイツ=ポーランド関係を模倣するのがすばらしいというのであれば、
このことを日本の民族主義者の側も主張できるのです。

つまり、かつてソウルで資産を持っていた
日本人(日本企業)を見つけてきて、彼にソウルで裁判を起こさせることもできるのです。

そうすれば、韓国の裁判所は、日韓基本条約で永久に日韓両国民の請求権は解決されるという
文言について、自分の立場を明らかにしなければならないことになります

このことについては、いうまでもないことですが、韓国政府は十分に認識しています。
もし個人賠償を原則とするのであれば、強制労働で働かされていた韓国人労働者の労働債権と、
日本人が戦前ソウルなどの諸都市で所有していた商店や住宅、
あるいは日本の旧財閥などが所有していた工場・農地その他の全資産の総額とを比較すれば、
どちらが多いかは一目瞭然です。


つまり日韓関係の原則として個人賠償をドイツのように採用することは、
強者を利することになってしまう可能性を内部に孕んでいるのです。


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