朝鮮通信使は朝貢団?


韓国の歴史教科書では、江戸時代に朝鮮の使者が日本の首都に訪問すると江戸の野蛮な市民たちが「文化を教えてくれ!」と哀願したとして、韓国の子供たちに誇らしく伝えられいる。

1607〜1811年までに計12回やって来た外交使節団

江戸図屏風左隻(江戸時代初期に描かれた江戸の様子)国立歴史民俗博物館


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中央の赤い物がある部分に注目。朝鮮通信使達が日本の将軍へ朝貢するための贈り物を出して準備している。虎の毛皮や陶器など。

▼ 城に入る朝鮮通信使達


朝鮮通信使達が城へ入る門に注目。裏門である。江戸の城や大きな家には門が多くあり、人の位により、入場できる門が変わる。下の大きな門を見て欲しい。位の高い人はこのような門から入る事になる。




▼ 羽川藤永筆『朝鮮通信使来朝図』。江戸市中を行列する延享度朝鮮通信使の行列を描く。神戸市立博物館収蔵

江戸の庶民達は朝鮮人を見世物のように見ている。日本人と違う服を着た珍しい奴等が来たと思って見ていたのだろう。

これらの絵からもわかるように、朝鮮通信使達は日本へ朝貢に来る下の民族として日本からの扱いを受けていた。朝鮮通信使達が城に入っている門が裏門である事を見れば理解できる。

日本の一部の儒教の関係者だけが朝鮮通信使に寄って行った。しかし他の日本人達は見世物として見ていた。 韓国人は朝鮮通信使に多くの日本人達が「文化を教えてくれ!」と近寄って来たと妄言を言うが、大きな間違いである。

朝鮮通信使は日本へ朝貢するために来ていたのである。日本の将軍が交代する毎に、贈り物を持って、何度も長い距離を歩いて、朝鮮と江戸を往復した事を考えれば理解できる。


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