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ウトロ地区・・
この地区の問題こそ、日本の根底にある
「反日サヨクと在日朝鮮人」によるインチキの
典型的な事例ですね。

京都府宇治市伊勢田町ウトロ51番地。
ウトロ・・・この地区はそんな名前じゃなかった。
元の名前は『宇土口』
宇治の市街地に続く道の入口として「宇土口」と
呼ばれていたのだが、ある朝鮮人が「口(くち)」を
カタカナの「ロ」と誤読したことから、
「ウトロ」になってしまった・・・。

★宇治市・ウトロ51番地
  http://osakadeep.info/2007/10/26/130206.html

★ウトロ地区
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%88%E3%83%AD%E5%9C%B0%E5%8C%BA
同胞による土地転がし騒動

 1987年3月、日産車体はこの問題を解決する為に
80世帯380名(当時)が居住するウトロ地区の
全土地を、同地区の自治会長を自称する
平山桝夫こと許昌九(ホ・チャング)
に3億円で売却した。許に資金を融資したのは
在日本大韓民国居留民団(現・在日本大韓民国民団)系
の金融機関の旧・大阪商銀であり、その融資の
連帯保証人となったのは、在日本大韓民国居留民団の
京都地方本部団長であった
河炳旭(ハ・ビョンウク)である。

2カ月後の1987年5月、許昌九はウトロ地区の土地を、
同氏が設立した西日本殖産という名の不動産会社に
4億4500万円で転売した。

西日本殖産は同年4月30日に河炳旭が100万円の資本金を出資して
設立されたばかりの有限会社であり、設立当時は同氏の親族が代表で、許昌九が役員であった。
大阪商銀は西日本殖産への融資に対し、ウトロ地区の土地に極度額5億円の根抵当権を設定した。
登記簿は中間省略され日産車体から西日本殖産への売買の形で所有権移転登記が行われた。

国土利用計画法23条による届け出は86年12月4日に日産車体と
平山より出され、京都府は審査のうえ問題ないと判断し87年1月13日に通知をした。
しかるに西日本殖産への売却に際しての届け出はなく、同法違反の疑いがある。
西日本殖産の代表取締役が、一時期この平山桝夫であったという事実もあるので、
その辺は若干ルーズに行われた可能性がある。

1988年9月、河炳旭はウトロ地区の土地を所有する西日本殖産ごと
金澤土建という土木建築会社に売却し、ウトロ地区から手を引いた。
なお当時はバブルの絶頂期であり、投機目的での短期間
の土地転売による利鞘稼ぎ(土地転がし)が全国で横行した時期でもあった。
西日本殖産はウトロ住民側に土地の明け渡しを申し入れたが、住民側が応じなかった。

立ち退きを求める訴訟

1989年2月、西日本殖産は住民に対し、ウトロ地区の
土地購入又は退去を求める民事訴訟を提起。
それに前後して、同胞に対する背信行為によって
巨額の差益を手にした許はウトロ地区から姿を消し、
以降の所在が不明となる。

西日本殖産とウトロ地区住民の間の民事訴訟は長期化し、
2000年11月、最高裁にてウトロ地区住民側の
全面敗訴が確定。

日産への要求

1988年、ダイムラーベンツ社は第二次大戦中に同社で
強制労働に服されたユダヤ人からの補償請求に対して、
2000万マルクを支払い、同社の自動車博物館の正面に彫刻物を設けた。

この事実を知ったウトロ住民は、上京し日産車体と
日産自動車に対し保障を要求しようとしたが、面会は拒否された。
93年9月、住民代表は渡米し、ロサンゼルスで北米日産や日本領事館前でデモを行った。

そもそも、この地区を不法占拠した住民はウトロ地区住民の作る「ウトロ国際対策会議」などに
よると日本国際航空工業の1300人の朝鮮人労働者達は、
ほとんどが国民徴用令や国家総動員法による強制徴用
で来日した訳ではなく、経済的理由や兵役免れなどで移住してきた者
であるとしている。

また、韓国の国務総理傘下の
「日帝強占下での強制動員被害者の真相究明委員会」も、
2006年末の報告書で、ウトロ地区住民について、
強制徴用者ではなく、元から日本に居住していた
朝鮮人がほとんど
と明らかにしている。

「ウトロの自治会長」を名乗る「平山舛夫」こと「許昌九」という朝鮮人が、同胞を騙して、
問題解決しようとした日産車体から土地全域を3億円で買い、自分の作った会社
「西日本殖産」に4億4500万円で土地を転売。そして同胞のウトロ住民に4億4500万円で売りつける。
そう、
許昌九はウトロの土地転がしで差額の1億4500万を丸儲けしようと企んだのだよ。

それなのに、日本のサヨク市民団体も韓国メディアも
この許昌九の名前を一切出さない
「可哀そうなウトロ住民」
「差別される在日朝鮮人」

と、日本を責め立ててきた。
第三者なんかじゃなく、在日同胞の許昌九なのよ。
在日同士のゴタゴタが
ウトロ問題の真相なのに

在日団体も、反日サヨク市民も
「全ての非は日本側にある」と活動してきた。

自由意思で出稼ぎにやってきて、GHQの帰還命令にも
逆らって自由意思で不法占拠した土地に住み続けた事例は
ウトロ地区だけではない。
伊丹市の中村地区も、同じ理由で国有地を長年不法占拠
状態にあった在日韓国人集落の一つなのだが・・・

●在日が不法占拠を続けた伊丹市中村地区が消滅
 〜盗人に追い銭を払った日本の負の歴史〜


大半は戦前、戦中に自らの自由意志で日本へやってきた朝鮮人達です。
戦後、母国へ帰るチャンスはいくらでもありました。
別に日本が帰る事を許さず、戦後も奴隷のように働かせていたわけでもありません。
朝鮮人に限らず、外国人が日本で生活する為には、当然ながら衣食住を自分でまかなう必要があります。
アパートを借りる、または土地を購入して家を建てる。当たり前のことです。
外国人には日本政府が住む場所を無料で与える
などという法律はありません。
Link: 在日が不法占拠を続けた伊丹市中村地区が消滅 〜盗人に追い銭を払った日本の負の歴史〜

それに反して戦後60年以上も国有地を不法占拠を続けた
朝鮮人達に対し、補償金を支払い、市営住宅まで新設して与えた日本。

”盗人に追い銭”とはこのことを言うのでしょう。
補償金の金額は公表されていないようですが、
以前川崎市で同様のことが行われた時は、
一世帯あたり2700万円であった

と言いますから、相当の金額が動いたのは間違いないでしょう。
Link: 在日韓国、朝鮮人問題への提言1

ここまでしてもらったにも関わらず、
「不法占拠と言われて悔しい。
 我々の思いと歴史を残す為、碑の建設を」

などと恥かしげもなく主張する在日朝鮮人・韓国人の
厚顔無恥ぶりには大きな憤りを感じますが、
なにしろ一番憤りを感じるのは、不法占拠をしていた
朝鮮人達に対し補償金を払い、住宅の新設までした政府です。
Link: 不法占拠バラック「伊丹中村地区」 - 大阪民国総合案内

日本は、恐ろしい額の借金を抱えていますよね・・・

誰のために使った借金でしょう。
タカリを繰り返す韓国、戦後賠償は放棄すると言いながらODAなどの形で、
例えば旧北京空港の建設費用を全額日本に出させながら、新空港を建設したら、
古い空港を外国資本に売って丸儲けしていた中国。
習金平も過ごした中国共産党青年部の施設を日本政府に建ててもらい、建物内にあるカラオケルームで、
毎晩、韓国企業が夜の接待に使っていた事例も有ります。

自国民には秘密にして、
「日本は謝罪も賠償もしていない」と官制デモで嫌がらせをして、何度も何度もタカってきた特亜。
日本の借金の中に占める、このふざけた出金は一体、何兆円?何十兆円?

駅前の広大な一等地に密入国をしてきた
朝鮮企業のパチンコ屋がなぜあるのか?

私達世代が、このイカれた戦後の歴史を認識し正しく修正していかないと
未来の日本人の子供達は、更なるタカリに対して
「日本人が悪いことをしたのだから お金を支払わないといけない」
などと洗脳され続け、奴隷のように働いて税金をがっぽり毟り取られ続けてしまう。
Link: 枝川裁判 / 法外な値段で売りに出します / ウトロ問題 / ウトロ問題の経緯まとめ / 動画: 破格の3億円

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