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世界各国の共通する認識は
「いかなる国家も、その国家のために
命を捧げた国民に対して敬意を払う権利と義務がある」


靖国神社へ公式参拝をした国は
・インドネシア・スリランカ・タイ・ インド・ドイツ・スイス・フィンランド
・ポーランド・ルーマニア・ロシア・ フランス・イタリア・リトアニア・スロベニア
・エジプト・チリ・ブラジル・ イスラエル・トルコ・アメリカ・オーストラリア
・アルゼンチン・トンガ・スペイン・ペルー・ベトナム・カンボジア・シンガポール・パラオ等


そして靖国神社参拝に
因縁をつける国は『中国と韓国・朝鮮だけ』である。


サンフランシスコ講和条約は11条で、
極東国際軍事裁判(東京裁判)などの受諾を求めている。
だが、それは、戦犯として有罪判決を受けた被告の
刑の執行の継続と法による適正な赦免・減刑手続きを求めた規定で、
東京裁判における、一方的な事実認定まで日本に強要したものではない。

世界の軍関係者の靖国神社参拝


↑ ドイツ空軍総監ヨハネス・シュタインホフ中将


↑ フランス護衛艦ヴィクトール・シェルシェとヘリ空母ジャンヌ・ダルクの乗組員と士官候補生


↑ 米国空軍士官学校の士官候補生ら


↑ イタリア、J・アンドレオッティ国防相と陸海空軍士官候補生ら


↑ タイ練習艦隊司令官パントム海軍少将


↑ アルゼンチン海軍練習艦リベルタード号艦長オスカルモヘ海軍少佐と海軍士官候補生


↑ 在日アメリカ海軍司令官ダニエル・T・スミス海軍少将以下幹部25人


↑ ブラジル練習艦隊クストディオ・デ・メーロ号のシャモンテ艦長以下士官候補生と乗員120人


↑ スペイン海軍練習艦隊ファン・セバスチャンエルカー号のリカルド・ラウレル海軍中佐以下50人


↑ ブラジル、イスラエル、ポーランド、トルコの各国駐在武官


↑ ペルー海軍練習艦隊、ルイス艦長以下60人


↑ チリ海軍練習艦隊エメラルダ号、シルバ大佐以下士官候補生と駐日大使


↑ イタリア陸海空軍の士官候補生

軍人の正式参拝が一番多いのはアメリカ合衆国であり、次に多いのがドイツです。
特に、駐日ドイツ大使館付き武官は着任と離日に際し必ず靖国神社に参拝しています。






太平洋戦争前の国際法(万国公法)では
アジア(未開国)も、たとえそこに人が住んでおり、独自の国家が形成されていても、
国際法上は「無主の地」とみなされ、征服の対象となり、「先占の法理」によって
欧米諸国(文明国)の中の先占(先占取得)した国の領土となる。

当時、世界中が欧米の支配下にあった。
中東では旧大国トルコがヨーロッパとロシアに屈服し、
リビア、エジプト、シリアなどは英仏伊の植民地。
イランもイギリスの支配下。インドはイギリスの植民地。
パキスタン・スリランカ・ミャンマー・マレーシア・シンガポールはイギリスの植民地。
カンボジア・ベトナムはフランスの植民地。
インドネシアはオランダ、フィリピンはアメリカの植民地だった。
中国は、ロシア(ソ連)、イギリス、フランス、大日本帝国が勢力・利権をもっていた。
南アフリカはイギリスの植民地、韓国は日本に併合、ブラジルはポルトガル人の支配国であった。

アジアで、植民地支配を受けていないのは緩衝地帯のタイと日本だけである。


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【タイ】 ククリット・プラモード 元首相
日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。
それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。
12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれた
お母さんが一身を賭して重大決意された日である。
更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。
我々この2つの日を忘れてはならない。

(12月8日 「サイアム・ラット新聞」)

【ビルマ (ミャンマー)】  バーモウ初代首相
歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。
真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、
真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった

(バー・モウ博士著『ビルマの夜明け』より)

【ミャンマー】  テインセイン大統領
野党に過ぎなかった「安倍晋三氏」が2012年1月、
ネピドーを訪れてテインセイン大統領と会談した。その会談の中でテインセイン大統領は
アウンサン将軍をはじめ、独立の英雄たちは日本軍から教えを受けた。
大戦後、現地に残って独立義勇軍に合流した日本兵もいた。そして、今日のミャンマーがある
と発言
東アジア黙示録

【インド】 パール判事
日本が戦争にふみきったのは「侵略のためではなく」
独断的な政策をとった西洋諸国によって挑発された為であり、
「東京裁判は正義の実現ではなく勝利者による復讐」であるとし、
「日本は国際法に照らして無罪である」と主張したが、
その主張を法廷で述べることを許されなかった。

【インド】 ラダ・ビノード・パール 法学者、極東国際軍事裁判判事
欧米諸国は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、
自分らのアジア侵略の正当性を誇示する目的であったにちがいない。
日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、退廃に流れていくのを、
私は平然と見過ごす訳にはゆかない。誤られた彼らの宣伝を払拭せよ。
誤られた歴史は書き換えられなければならない。

【インド】 ラグ・クリシュナン元大統領
インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。
それを我々と同じ東洋人である日本人が見事に撃沈した。驚きもしたが、
この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。

(昭和44年「日本経済新聞」より)

【マレーシア】  ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。
敗れて逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。
しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで
将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、
それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです。

【マレーシア】 ガザリー・シャフェー 元外相
どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本はよくやったではないですか。
マレー人と同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。
その結果、マレーシアは独立できたのです。大東亜戦争なくしては、
マレーシア人もシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ?

【マレーシア】 ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
この国に来られた日本のある学校の先生は日本軍はマレー人を虐殺したに違いない。
その事実を調べに来たのだと言っていました。
私は驚きました。日本軍はマレー人を一人も殺していません。と私は答えてやりました。
日本軍が殺したのは、戦闘で闘った英軍や、その英軍に協力した中国系の抗日ゲリラだけでした。

【マレーシア】 ガザリー・シャフェ外相
とくに私が惜しいと思うのは、日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、
それを日本の政治家が否定することだ、
責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。
『その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。
日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。
それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。
諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちを受けたか忘れたのか
日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、
負けたら自分のことは棚に上げて責任をすべて日本にかぶせてしまう。
そのアジア人のことなかれ主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないか。』

【フィリピン】 マバラカット市長
フィリピン人は日本で伝えられているような“反日”などではなく、
むしろ親日的ですよ…。フィリピンの人々は戦争に対しては日本人よりも“リアリスト”です。
戦争があれぱ多少なりとも悲劇はあると、現実的な考え方をしています。
ですからフィリピンの人々は日本を責めようなどとは思っていません

【インドネシア】 モハメッド・ナチール元首相
アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。
大東亜戦争というものは本来なら私達インドネシア人が、
独立のために戦うべき戦争だったと思います。
もしあの時、私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。
大東亜戦争はそういう戦いだったんです。

【インドネシア】 アラムシャ 元第3副首相
我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、
350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの
狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。
それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。
インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。

【インドネシア】 ブン・トモ 元情報相
我々アジア・アフリカの有色民族はヨーロッパ人に対して
何度となく独立戦争を試みたが全部失敗した。
インドネシアの場合は、350年間も失敗が続いた。
それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、
我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった。
 
【インドネシア】 サンバス長官
日本の戦争目的は植民地主義の打倒であった。
その目的の大半は達成したが、南アフリカ、アジアにまだ残っている。
そんな時に行った村山演説は、植民地主義打倒の悲願を放棄したことになる。
村山さんは日本の果たしてきた歴史を踏まえ、アジア・アフリカの悲願を代表して、
まだ残る植民地主義を攻撃すべきであった。
かつての日本は、スカルノ、ハッタ、バー・モウ(アウンサン)、ラウレル、アキノ、
汪兆銘、チャンドラ・ボース等を応援したのに、
たった一度の敗戦で大切な目的を忘れてしまったのは遺憾である

【オランダ】 サンティン・アムステルダム市長(現内務大臣)
本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。
日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現した。
即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わった。
その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の功績は偉大であり、
血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。
自分を蔑むことを止め、その誇りを取り戻すべきであります。

【イギリス】 歴史学者 H・G・ウェルズ
この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。

【イギリス】 歴史学者 アーノルド・J・トインビー
第2次大戦において日本人は日本の為というよりも、
むしろ戦争によって利益を得た国々の為に偉大なる歴史を残したといわねばならない。
その国々とは日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。

【イギリス】 国際法の権威ハンキー卿
『戦犯裁判の錯誤』という本の中で「日本無罪論のパール判事の主張は絶対に正しい」と明言。

【アメリカ】 リチャード・アーミテ−ジ前国務副長官
主権国家である日本の総理大臣が、
中国に限らず他の国から靖国神社に参拝してはいけないと指図されるようなことがあれば、
逆に参拝すべきだと思います。なぜなら内政干渉を許してはいけないからです。
もう一つは、全ての国が戦死者をまつりますが、それぞれのやり方で良いのだと思います
 
【アメリカ】 マッカーサー元帥
昭和25年10月トルーマン大統領に対して東京裁判は誤りであったと告白。
さらに昭和26年に米国上院において
「日本がおこなった戦争は 正当防衛であり侵略戦争ではなかった」と公式に証言。

・動画(YouTube): 大東亜戦争の名言集
・動画(YouTube): 大東亜戦争 その歴史的意義

江沢民「歴史問題、永遠に言い続けよ」と、在外大使ら一堂に集めた会議で指示

【北京=藤野彰】中国の江沢民・前国家主席(前共産党総書記)が在任中の
1998年8月、在外大使ら外交当局者を一堂に集めた会議の席上、
「日本に対しては歴史問題を永遠に言い続けなければならない」と指示し、
事実上、歴史問題を対日外交圧力の重要カードと位置付けていたことが、
中国で10日発売された「江沢民文選」の記述で明らかになった。

中国は胡錦濤政権に移行した後も一貫して歴史問題を武器に対日圧力を
かけ続けており、江氏の指針が現在も継承されているとすれば、歴史問題を
めぐる中国の対日姿勢には今後も大きな変化が期待できない
ことになりそうだ。

同文選(全3巻)は江氏の論文、演説などを集大成したもので、
これまで未公開だった重要文献を多数収録。江氏は同年8月28日に招集した
在外使節会議で国際情勢について演説、この中で対日関係に言及し、
歴史問題の扱いをめぐる指針を示した。
読売新聞(2006年8月10日)

歴代首相は戦後58回も参拝して、A級戦犯合祀後も20回参拝していた
昭和60年8月7日「朝日新聞」、加藤千洋記者が8月15日に予定している
中曽根首相の靖国神社参拝を「中国が問題視」などと批判記事を掲載

8月15日、中曽根首相靖国神社参拝 ※中国からの抗議なし
8月26日 社会党田辺総書記長らが訪中
1980年(昭和55年)田辺誠は総評から3000万円の建設資金を南京市に寄付し、
その資金で南京大虐殺紀念館が建設された。
8月27日 中国副首相が初めて靖国神社参拝を批判


25年6月1日放送「たかじんNOマネー 緊急生放送スペシャル!」
大谷昭宏氏が「靖国に寝てる連中は…」と発言

日本はマスコミが、中国と韓国の味方して
政治家の靖国神社参拝を批判する不思議な国


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